金烏玉兎 木火土金水

陰陽五行思想についての学びを記録をするブログです。

【算命学】命式を読む

いつも陰陽五行思想を学ばせていただき、ありがとうございます。

ここ数日、算命学の命式を読む練習をしています。算命学の命式は星の位置に意味があり、その星は性質を示す10個の主星と、盛衰の位置を示す12個の従星が登場するのですが、それぞれに意味や性質、時間や方位という属性があり、とてもすぐには覚えられません。

そこでひとまず、命式の星の位置とそれぞれの意味を覚えるべく練習中。このあたりはほぼ「占い」に近いのですが、それでもそこには、自分の性格、親や上司の性質(自分の星から親の性質がわかるのがすごい)、恋人の傾向、仕事、財産、幼年期、中年期、晩年期までが示され、わりと納得感のある内容な気がします。

特に若い頃から活躍している有名人の命式を調べたりすると「こういう星を持っているからこうなのね」と納得する部分も多く、面白いです。

自分のことでいうと、中年期(20代から40代)の星が天報星というもので、多芸多才過ぎて変化変転が多いとされています。多芸多才かはともかく、転職・異動が多くあったのは事実で、このあたりは「そういう星だったからなのか!」と納得したり。ちなみに、様々な仕事や経験を通してきちんと学ぶべきものを学ぶことに好機の種があり、その中から1つを選択して集中することの大切さも説かれています。無理に「1つのところにとどまる」ことにこだわるとよくないとも言えます。このあたり、知っておくことでできる対応、計画というのもある気がします。

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【所感】東洋思想を学ぶ意味

いつも陰陽五行思想を学ばせていただき、ありがとうございます。

産業革命に端を発する西洋的物質文化の発展によって、東洋的精神文化が軽視されはじめて久しいですが、物質文化の未発達の時代においては人は精神文化へ向かわざるを得ず、その意味では物質文化と精神文化の関係は反比例の関係にあるのかもしれません。結果として精神文化と森羅万象のつながり調和の秘密に最も近かったのは古代なのでは、と思います。

易経の元になった八卦は古代中国の伏羲が作ったとされていますが、精神文明は古代の方がより深いところまで到達しており、我々の時代はそこから遠ざかる方向に進みつつあるのかもしれません。

しかし、精神文化自体も時代においては栄枯盛衰を繰り返しており、日本においても精神レベルが高かった飛鳥時代、それが定着した奈良時代形式主義に陥り貴族文化最盛期を経て没落に向かった平安時代、その後、武士による鎌倉時代は禅の時代の始まり‥と、必ずしも一直線に衰退に向かっているわけではないことがわかります。

そんな中で思うに、物質文化に寄りすぎれば精神文化へ向かい、精神文化に寄りすぎれば(それを盲信し形式主義に陥れば)再び物質文化に向かう、ということを繰り返しているのかもしれません。今読んでいるSBIの北尾社長の本によれば、歴史はその中庸を目指していると説いています。その意味では、精神文化、思想や哲学を今学ぶことの大切さというのを強く感じます。

高度な物質文化の中にあって、高い精神文化を取り入れた生活をすること、つまりは両者の中庸をいくことで、より高い何かを得られるのではないか?それは反比例的に進む時代の中で比例的に進む秘訣なのではないか、と感じます。

図にしてみましたら、弓から放たれる矢のよう。素敵な象を得られました✨

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【算命学】人体星図

いつも陰陽五行思想を学ばせていただき、ありがとうございます。

先日、東洋思想を学ばれている方から算命学による自分の運勢というのを教えていただき、あまりにピシャリと言い当てられたのに感動してちょこっと調べてみました。まだ理解が及んでいないのですが、算命学では人体星図というのを作って、頭・胸・腹・左肩・左手・左足・右手・右足の8つにそれぞれ星をあてはめて運勢の傾向を観ます。体の部位ごとに「目上の人から見える性質」、「本人の性質・人生観」、「目下の人や社会から見える性質(適職含む)」、「若い頃の運命」、「兄弟や友達、利害のない人との関係」、「中年期の運命」、「配偶者との関係」、「晩年期の運命」が示され、関係や性質に関するものは十大主星、運命に関するものは十二従星という星がそれぞれ配置されてその意味を読み解いていきます。左肩と左足、右足が十二大従星です。

たぶん、初めて知った方はチンプンカンプンでしょう‥私もです。算命学なんて、数日前まで歴史の中でしか知らなかった気がします‥。

しかし、人生のなかで巡る四季と時機を知る上では、算命学が1つの指標を示してくれるツールであることは多くの先人、偉人、名経営者といわれるひとたちがこれを重んじていたことからも間違いのないところな気がしています。

易経は森羅万象の変化の法則を説いています。それは世界の動きを理解する上では役立つのですが、それとは別に自分の位置、座標軸のようなものを認識しておく必要があって、算命学というのはその座標軸を示すものなのではないかと思います。自分の持つ流れと世界の流れの両方を理解していなければ、適切な判断はくだせません。

まだまだ、初歩的なところを学んだばかりではありますが、これも易経の立体的理解につながるような気がします。東洋思想は同じベースから派生しているので、易経東洋医学、算命学などなど、様々な角度から学ぶことで抜本的理解へのブレイクスルーが得られるのではないか、と思っています。

※画像の人体星図は本日のもの、私のものではないです。

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【周易】雷沢帰妹

いつも陰陽五行思想を学ばせていただき、ありがとうございます。

雷沢帰妹の卦は、女性が結婚し嫁ぐ道を説いています。雷は長男、動くことを、沢は少女、悦ぶことを示していて、若い女性が年頃の男性に自分から動いてよって行って嫁いで有頂天になって悦ぶような結婚は凶、敷衍して人事において偉い人に部下が自分から媚びへつらって寄っていくのを取り立てるのは凶、という意味も示しています。

男女平等のこの時代においては時代錯誤という見方もあるとは思うものの、女性から浮ついて男性に寄っていくようなのは長続きしないもの、と厳しく言明されているのを読むと、なるほどそうかもなぁという気もします。

ちなみに、6つの各爻をそれぞれ異なる立場・才覚の女性として読んでいくと、初爻が一番身分が低く、また陽爻が才覚ある女性となり、初爻は才覚はあるけれど身分が低く適切な人に嫁げない女性、二爻は才覚はあるけど適切ではない人に嫁ぐ女性(適切ではない人に嫁いでも恭順にしているべきと説く)、三爻は心がけ正しくなく男の人を追い回し嫁げない女性、四爻は才覚あり今は適切な人に嫁げないけど、適切な人を待っていてそのうち適切な人に嫁げる女性、五爻は高貴でありながら嫁ぐにあたっては驕り高ぶることなく夫に仕える賢明な女性、上爻は心がけ正しくなく焦りに焦ってつまらない人と婚約したけどお互いに誠意がなく結婚が成立しない女性として書かれていて、それぞれのあるべき道を書いてあります。

易経は6つの爻にそれぞれの立場身分やその性質、人間関係まで表現されているあたりがほんとにすごいなぁと思います。そして、心がけが正しくてもうまくいかないこともあり、その際のあるべき姿勢まで説いている点において人生の指南書的な価値もある気がします。

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【周易】艮為山

いつも陰陽五行思想を学ばせていただき、ありがとうございます。

艮為山という卦は、艮(山)が二つ重なっている卦です。艮の象意は「止まる(登りきったところでどっしりと止まる)」であり、物事を思うにあたり自分の位地以上のことを望まず、自分の境遇以外のことを思わず、その位地境遇に即したことを思うのが良い、という意味です。

これに付随して、中庸における「富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い」という文章が参考にひかれていてハッとしました。何かを目指す、「自分とは違う何か」を目指すことの無益さ、ということを感じて。

人の目指す道というのは自分の内にありて外にはない、という考え方は大事だと最近よく思います。自分が目指すべきものは、自分の経験や立場、考えや自分が好きなもの、愛するものの中にこそあって、傍目に「羨ましく」あるいは「カッコいい」と思うものの中にあるのではないというのは、本質をついている気がします。「富貴は富貴に、貧賤は貧賤に」などと書かれると、階級主義のような誹りを受けがちなわけですが、それぞれに果たすべき役割や輝くことができる持ち場があり、それがある面では階級なり保有財産の多寡によるというのは至極まっとうなお話です。そのあたりを無視して「平等」にすることのほうにこそ、無理や混乱があります。対処すべきは「全員を平等にする」ことではなく「それぞれの立場個性を明確にし、果たすべき役割をはっきりさせる」ことであって、このあたりの理解と納得を促すことが、世の中が麗しく機能する秘訣ではないかと思います。

とはいえ、自分の内なる資質の先の何かを目指すことが必要なこともあるわけですが、その際のことについて、この卦には震の卦が隠れていて(普通は1番目から3番目の爻と4番目から6番目の爻に分けますが、それ以外の組み合わせ、この場合は3番目から5番目の爻を互卦といって、卦の意味を発展させるときに使います)、その意味は「動く」。なので、時期が来れば(環境が整うとかタイミングが合うとか)、動くことこそが吉としています。

単に上と下の卦を見るだけでは単に「止まる」ことに終始するのですが、こうして互卦から発展形を読める、というのも周易の面白いところです。

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【周易】沢火革

いつも陰陽五行思想を学ばせていただき、ありがとうございます。

沢火革の卦は、大きな改革を上手に行い成し遂げるための方法について書いてあります。その方法とは、「物事の道理を理解し、世の中の情勢に通じている人が、温和に穏やかに柔らかに行うべし」というもの。中国はその歴史上、過激な革命が数多くありましたが、「激烈、暴戻ではダメ」と周易には明確に書いてあります。

私はせっかちで自分の思いが先走りがち、また「周りの人みんなに理解してもらおうなんてとても無理!」とどこかで思っているとこがあるので、チカラワザの提案や決め事をしがちでしたが、それはダメ、ということです、反省。

ちなみに、この卦の「火」(離)は、文明の徳、物事の道理に通じる徳を持ち、「沢」(兌)は穏やかにやわらかに激しくないという徳を持っていることから、このような解釈になるようです。

「沢」(兌)は、私の生まれ星である七赤金星の象意。私もそんな徳を持っているのだとしたら、それを掘り起こせば出てくるのかも?と思いました。

九星気学に限らず、いわゆる「占い」による性質は、歳を重ねるに従って、その性質が人格に色濃く現れてくるようになります。子供の頃は「そうかな?」と思っていた性質も、歳を経ると「確かに」と納得することも多くあります。

様々な人に出会い、様々な出来事を経験する中で、「定められた通りのもの」が出てくるという見方もできます。「占い」は現代社会においては軽視されがちですが、何千年もの時代を経て残ってきた天と地の相似形を示すその型というのは、相応に意味があり、それを否定するよりはそれを生かし利用することを考える方が合理的な気がするこの頃です。

☆『周易講話』の4冊目に入りました。64卦の説明はこの本が最後♩

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【周易】沢天夬

いつも陰陽五行思想を学ばせていただき、ありがとうございます。

易経講話』の3冊目、「沢天夬」の章を読んでいます。「沢天夬」というのは易経における64卦の一つで、6本の爻のうち、一番上が陰爻でそれ以外の5本が陽爻の卦。簡単にいうと、良い人たち(陽爻5本)が悪いヤツ(陰爻)を倒すための心構えを書いています。5対1なら簡単にやっつけられそうですが、コトを荒立てず穏当に成し遂げるには様々な心構えと順序、やり方に則ってやるべき、というお話です。

この卦において興味深かったのが、初爻=初九(64卦の卦はそれぞれ6本の線又は破線で示されますが、一番下の初爻から順番に身分が上がっていくので、一番身分が低い爻)にある「志は正しいけれど、不明の誹りを免れない」という説明。正しい志を持ち、やる気があったとしても、上の応援が得られず、周りの応援も見込めない中でむやみに突き進むのは、賢さに欠け、そこにおいて咎められるというもの。志が正しくても、応援を得られないままやみくもに突き進むだけでコトも成し遂げられず、身分も低いまま、というのは、今にも通じる‥というか当たり前のことながら、案外と最近は「やる気重視」「とにかくやるべし」の風潮が強く見られる中では新鮮でした。やっぱりそうだよね、みたいな。

ちなみに、もう一つ興味深かったのは五爻(九五)において、位も志も正しく中を得ているのに、「悪いヤツ」である六爻(上六)の近くにいる(比している)だけでも問題視されるという点。そもそもですが、易経の基本で言えば、九五も上六も正しい位にあるので咎められないと思うのですが、このあたりは「沢天夬」という卦のシチュエーション、流れの中にあってそのような意味になっているのだと思います。

要は、ふだんの生活にあっても「こうしていれば正しい」という型はなく、シチュエーションやコトの流れ、状態によって立場も在り方も正しい対処も異なり、それを示しているということなのですが、このあたりに易経の妙というか、面白さを感じます。

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