金烏玉兎 木火土金水

陰陽五行思想についての学びを記録をするブログです。

【陰陽五行】天の理、地の理が相似ということ。

いつも陰陽五行思想を学ばせていただきありがとうございます。

今、易経を読んでいますが、易は天の理と地の理が相似になっているという前提があります。易経にある理は、日々の出来事はもちろん、天地宇宙の縮図です。天におけるパターンは地においても同じパターンが現れる、と言い換えることもできます。このあたり、植物の姿の中にフィボナッチ数列が現れることや、地球の地形において相似形が重層的に現れることからも見てとることができます。

その前提で考える場合、自分が対峙する相手は自分の意図をそのまま現すし、自分が取り組む仕事は自分の意欲・姿勢をそのまま反映することになります。このあたり、自己評価・自己認識というのは甘くなりがちなので「そんなはずはない!」と思ってしまいがちではありますが、身を正し、自己の心に偽りなくその真意を問うた場合、それは明らかな気がします。

 

易においては、事象を正確に先入観なくまた理に走ることなく在るが儘に観ずることが大事ですが、これは自己の置かれた状況を観ずる際の姿勢にも共通します。

身の回りの「瑣末な」出来事よりも前に、自らの在り方を厳格に観ずることのほうが、本当は大事なのだと思います。

仕事での「小さなごまかし」が大きな失敗に発展する、あるいは「容易なものに流れる甘さ」が完成度の低い人生に終わる。「すべては相似形である」といった場合、それは即時に、一瞬にしてそうなるということでもあり、そう考えると、「波動の法則」(自分に似たものを引き寄せる)より、速やかかつ厳しいものであるのかもしれません。私は、このことに気づいて速やかに部屋の掃除をしました(笑)。

改めることがあるかどうかの指標は、それがずっと続いて嬉しいか(心が喜ぶか)?だと思います。あらゆるしがらみやタテマエをとりあえず棚に上げて、その相似形が継続していくことが望ましいか、というのが、判断基準なのだと思います。

太一から陰陽、天地、万物が生じたのだとすれば、すべてが相似形である、というのも納得感があります、もともと同じものですから。

なので、日々の在り方が全てを決する。「仕事のときだけきちんと」とか「好きな人の前でだけいい子」というのはまったくもってダメなことがよくわかるな、と思いました。

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