【陰陽五行】なぜ、「中」が一番良いのか。
易経を読んでいると、「中」が一番良くて正しい、ということが繰り返し記されています。
上がり過ぎてもダメ、陽過ぎてもダメ。
陰陽という場合、普通の日本人は「陽」のほうが良い感じるものですが、なぜ、上でもなく陽でもなく「中」なのか。
そんな中でハタと気づいたのですが、先ほどknowledge pyramidといってピラミッドの絵をかきつつ、これは球体と読み替えてくださいと書いたあの球体における中心を示す「中」なのかも。
そう考えると、陰が過ぎる、陽が過ぎるというのは中心から過ぎたぶんだけ遠ざかるので力は失われ、中は中心に近いのでその分、物事がうまくいく立場を得ることになり、納得です。
西洋思想において時間は直線的、東洋思想においては時間は円環的ということが言われますが、いわゆる西洋的な競争社会と東洋的な円満社会、という捉え方もあるのかもしれません。
西洋的な視点で見ると「円満社会」というのは馴れ合いの果てで生産性が著しく劣るというような指摘を受けそうですが(実際、戦後の日本社会においては、西洋的な競争社会こそが正しいと言われてきたわけですが)、果たしてそうなのか?
円というのは神のカタチ、四角は人のカタチということが言われます。前方後円墳のカタチなどはそこからきているとも聞きます。
そう考えると、円(球体)のほうが進むべき道なのではないか。
そんなことを考えました。